保存から再起動へ。マチエルと説明の委譲を支える体験型アーカイブ設計

実践研究|顕微鏡マチエル散歩/OMOTEDE(参照枠:緩芸縁日)
作品: 顕微鏡マチエル散歩 / OMOTEDE
目次

0. 要旨

本稿は、作品を出来事の完全保存としてではなく、未来において再び起動しうる条件を記述・共有する方法としてアーカイブを捉え直す実践研究テキストである。[1]

本稿が扱うのは、完成された像ではない。層の重なりが孕む時間性と素材操作によって立ち上がる視覚的質——本稿でいう「マチエル」——を、作品(出来事)が再び成立するための核として位置づける。

Case A『顕微鏡マチエル散歩』では、視野枠・焦点移動・探索といった観察手順をスコアとして共有することで、出来事が成立する条件を提示する。Case B『OMOTEDE』では、意味内容の解釈よりも、通行・滞留・会話・身体配置の変化を支える運用条件に着目し、場と出来事を説明する権能が作者から第三者へ移行する瞬間を問題化する。

また『緩芸縁日』は、公共に近い場で複数の鑑賞態度が同時に成立する条件設計を検討するための参照枠として位置づけられる。なお、Case B『OMOTEDE』は筆者が主催に関わったプロジェクトであり、『緩芸縁日』はその実践をSLOW ART CENTER NAGOYAの文脈に再解釈し、センターメンバーと共同設計した企画である。

1. はじまり:日本画は「像」ではなく「マチエル」

私が日本画を専攻して身につけたのは、平面に像を作る技法だけではない。湿度や温度を見ながら層を重ね、四季のようなゆるやかな時間を通して物質を安定させ、にじみや定着の振る舞いを制御する絵画手法だった。

ここで重要なのは、作品としての最終成果の絵画が先にあるのではなく、層と時間の操作が先にあり、その結果として像が立ち上がるという順序である。実際に、筆をとるたび、岩絵具や膠(日本画の接着剤)の濃度、乾き方、にじみ方の条件が変わってしまうような不可逆性を意識することが多かった。

本稿でいう「マチエル」とは、層の重なりが孕む時間性と、素材の扱い方によって立ち上がる視覚的質を指す。ここで私が核として扱いたいのは、完成された像の意味内容ではなく、制作や提示の過程で生じるこの質が、作品が「同じ作品として再び立ち上がる」ために手放せない中心になる、という点である。

したがって本稿では、像を固定して保存するよりも、マチエルが成立する条件——層・時間・操作の組み合わせ——をどう記述し、他者に渡せるかを問題にする。

同時に、日本画が分野として成立してきた展示形式や評価軸は、生活圏への浸透や領域横断に対して保守的に働くことがある。私はそれを否定して切り捨てたいのではない。日本画を通して学んだ核を別の場へ持ち出し、別の形式で同じ核を成立させることを模索するため、顕微鏡の作品へ、さらに公共空間での出来事へと、形式が変わりながら連続していった。

2. Case A『顕微鏡マチエル散歩』

この連続を駆動しているもう一つの契機として、平面絵画が巨大化していく傾向への違和感がある。社会的には、スケールを上げることで空間を支配し、鑑賞者の身体を包み込む方向へ作品が寄っていく。私にとってその違和感は、抽象的な嗜好の問題ではなく、身体的な記憶に根がある。

かつてS200号の絵を自分で切断し、捨てた経験がある。時間を切り捨て、残すことができなかったことへの苦悩があり、その絵はもう再現できない。ここで露わになったのは、保存が倫理や意志の問題である以前に、技術と条件と制度の問題でもある、ということだった。残せなかったという不可逆性が、私の中で「保存」そのものを疑い、別の出口を探させた。

プレパラート上の極小の絵を顕微鏡で覗き込むと、視野は狭いのに空間が急に広く感じられる。見ているものは小さいのに、世界が大きい。顕微鏡は拡大装置である以前に、視野の枠を物理的に固定し、焦点移動と探索を鑑賞者に強制する装置だと私は考えた。つまり本作品は、大きくすることで空間を支配するのではなく、見る行為の条件を握ることで空間経験を再構成する。中心にあるのは像の理解ではなく、層の差異を探し、寄り、比較する観察の手順である。日本画で扱ってきた層と時間の操作は、物質の操作から、視覚と身体の操作へと移植される。

3. アーカイブ再定義:再起動条件を残す

本稿でいう「再起動条件(プロトコル)」とは、作品の再現物そのものではなく、出来事が再び成立するために必要な最小限の条件の束を指す。それは、手順、環境、禁則、判断基準などから構成される。

本稿では、この再起動条件を「プロトコル」と呼び、それを実行可能な形で展開した具体的な手順を「スコア」として区別する。プロトコルは不変の枠組みであり、スコアは状況に応じて更新されうる運用である。

そのため、物理解像度や触覚的な手触りにおいて、顕微鏡による実作品とWeb版は同等ではない。

しかし、何が起きる作品なのかは体験として伝えられる。

この差異は、再現度の競争ではなく、「作品を残す」とは何を残すことなのかを具体的に突きつける。顕微鏡体験のすべてを保存できない以上、未来に向けて確保すべきなのは、出来事が再び起動しうる条件が明示され、他者がそれを扱える状態である。

そこで本稿では、アーカイブを出来事の完全保存ではなく、作品が再び立ち上がるための条件(プロトコル)を記述し共有する技術として捉える。

この立場は、可変メディア作品の保存をめぐる議論――媒体そのものよりも作品の振る舞いや再提示戦略を記述し、保管・移行・エミュレーション等を通じて将来の提示可能性を確保しようとする枠組み――と接続できる。[2]

さらに、固定されずに継承される文化が、共同体の実践によって更新され続けるという無形文化遺産の考え方とも、本稿の「再起動」は親和的である。[3]

Web版『顕微鏡マチエル散歩』では、観察者が層の差異を探索する操作そのものが出来事として立ち上がる。正解は設定されておらず、発見は答え合わせではなく観察の過程として生じる。

したがってWeb体験版は顕微鏡体験の代替ではない。何が行われる作品なのかを、操作として共有するためのデモである。固定されるのは視野枠、焦点移動、探索の手順であり、再現できない要素は欠落として隠すのではなく、限界として明記される。

擬似的に生成したログについても、当初は保存装置として想定していたが、現時点では保存技術の完成よりもデモとしての再現性を優先している。そのためサーバー依存を避け、保存を切り離し、鑑賞者が記録主体へ移行する演出として再設計した。

他者の発見がどのように共有されうるかという課題は、欠点ではなく、次の更新点として位置づけられている。

以上の実践は、個人的な制作手法の共有として読むこともできる。 しかし、それだけでは整理しきれない問いを含んでいる。 以下では、こうした問いと響き合う同時代的なアーカイブ観を参照する。

アーカイブ学においても、保存の目的は証拠や記憶の保持から、 共同体のなかでの再解釈や再起動へと重心を移してきた。 テリー・クックらが整理したアーカイブのパラダイムでは、 現代段階のアーキビストは管理者ではなく、 コミュニティの関与を調停する存在として位置づけられている。 [5] [6]

本稿で扱う「説明権能の移行」は、 こうした同時代的なアーカイブ観の延長線上にある。

4. Case B『OMOTEDE』

次に『OMOTEDE(おもてで/表出)』について述べる。本稿が扱うOMOTEDEは、アーティスト/クリエイターと作品の関係だけで完結する対象ではない。むしろ公共空間において、人の振る舞いと関係の生成を引き起こす「表出体」として読解可能な出来事である。

ここでいう表出体とは、意味を表す表現物というより、通行速度・滞留・会話・身体配置の変化を生む「条件の集合」としての出来事を指す。したがって本稿の焦点は、作品が何を表現したかという意味論ではなく、どのような条件のもとで、どのような変化が生じ、それが持続しうるのかに置かれる。

この章で核となるのは、通行が滞在へ転じることそのものではない。場と出来事を説明する権能が、作者から剥がれ、第三者へ移っていく瞬間である。公共空間で表現が生き延びるためには、正しい説明が前面に出るよりも、第三者の言葉が立ち上がる余白が必要になる。言い換えれば、作品の意味を固定するのではなく、出来事が他者の語りによって更新されうる状態を支えることが、運用の課題になる。

このとき、プロトコルとして確保すべき条件がいくつかある。たとえば、退出の自由が守られていること。迎え入れが命令ではなく、事実と余白として提示されていること。撤収や近隣配慮がスコアに組み込まれていること。これらは、作品を公共へ接続するための運用条件であり、出来事の同一性を支える基盤でもある。

また、残すべき断片は全記録ではない。第三者の説明が立ち上がったことを示す短い証拠断片──音声の一部、メモ、状況記述など──が、プロトコルの実効性を示す証拠として働く。ここで重要なのは、出来事の「正しい説明」を保存することではなく、説明が他者へ委譲されうる状態が実際に生じたことを、最小限の形で残すことである。

ただし、編集や再編が恣意にならないための基準は必要になる。本稿では、アーカイブズの原則である provenance(出所)/original order(原秩序)[7] を参照し、編集や改訂が可能であることと、履歴が追えることを両立させたい。ここでいう版管理は、作者性を薄めるためではなく、同一性条件(最小不変条件)を守りながら、更新を可能にするための運用である。

OMOTEDEの比較例として、本稿ではSLOW ART CENTER NAGOYAで企画したアート企画『緩芸縁日(かんげいえんにち)』を参照枠に置く。緩芸縁日は、伝承アーカイブとして固定する対象ではない。公共に近い場で、複数の鑑賞態度が同時に成立する条件設計を検討するための比較対象である。

公共への接続は、人数の増加や境界線の物理的越境だけで達成されるものではない。見る/留まる/参加する/離脱する、これらが同時に選べる状態が現実に発生することが重要である。そしてその状態を支えるのは作品群だけではない。説明の粒度、音量、滞留の設計、安全や近隣配慮といった運用条件が、鑑賞態度の複数性を成立させる。

したがって緩芸縁日は、出来事の同一性を「運用を含む場のスコア」として読む視点を与える。OMOTEDEにおいても同様に、作者の説明に回収されないかたちで出来事が立ち上がるための条件を、プロトコルとスコアの両面から記述する必要がある。

5. 再構築可能な伝承型アーカイブ

アートプロジェクトの現場では近年、活動記録やプロセス、関係者の声を網羅的に蓄積するアーカイブ実践が多く見られる。たとえば、東京アートリサーチラボ(TARL)に代表される取り組みでは、プロジェクトの経緯や議論の履歴を丁寧に残し、後続の参照可能性を高めることが重視されてきた。

一方で本稿が目指すのは、全体像を保存することではない。出来事が再び成立しうるための最小限の条件──すなわちプロトコル──を、他者が扱える形で共有することである。ここでいう編集の委譲は、記録を増やすための分散ではなく、どの条件を不変とし、どこを更新可能にするかを合意的に管理するための技術として位置づけられる。

説明の権能が作者から剥がれるなら、アーカイブの編集もまた作者から剥がれてよい。ここでの委譲は外注ではなく、出所を共同化し、社会や公共で出来事が生き延びるための運用技術である。重要なのは、作者の意味づけを薄めることではなく、説明の独占から、条件設計と更新の承認へと作者性の位置を再配置することにある。

ただし、委譲は放任ではない。版管理として制度化される必要がある。編集者は文章やスコアの改訂案を提出できるが、版番号、改訂理由、差分を残す。最小不変条件や禁則(プロトコルの中核)に手を入れる場合は、公開範囲や運用条件の再検討も同時に行う。こうして、更新の自由と同一性条件の維持を両立させる。

現在、こうした伝承型アーカイブのあり方を実践を通して検討している。その一つとして、私的要素を排除せずに編集を行うメディアである『森田新聞社』[8] と協力し、編集の委譲と版管理を前提としたアーカイブ形式を試行している。

この試行において着目しているのは童歌である。童歌は特定の作者や正典を持たず、人から人へ、世代を超えて伝わってきた。旋律や言葉は変化しても、「この歌は何なのか」という問いを手がかりに、地域の習慣や身体の使い方、民俗的背景へと参照が連なっていく。そこでは歌そのものよりも、生活に寄り添いながら更新され続けてきた条件の束が、伝承の核として働いている。

このような伝承を、固定的な記録としてではなく、再起動可能なプロトコルとしてアーカイブすることはできないだろうか。その検討として現在、特定の旋律を保存するのではなく、環境音のサンプリングからリズムを抽出し、再編・調整するプロセスを行っている。ここで残したいのは完成形ではなく、どのような操作や判断、環境のもとで音が立ち上がるのかという条件である。

この試みは、説明や意味を固定しない。編集と再解釈が継続されることを前提とし、その継続を支えるためにプロトコルと版管理を整える。言い換えれば、伝承型アーカイブの目的は「正しい内容の保存」ではなく、出来事が複数の手によって更新され続けてもなお、同一性条件が保たれ、再起動可能性が維持される状態を設計することにある。

6. まとめ

本稿で試みてきたのは、作品や出来事を完成形として保存することではなく、それらが将来において再び立ち上がるための最小限の条件を、他者に渡しうる形で記述・共有することである。ここでいうアーカイブは、過去を固定する装置ではなく、未来に向けて出来事を起動可能にする「再起動プロトコル」を整える技術として位置づけられる。

その際に核となるのは、像や意味内容そのものではない。層・時間・操作といった条件の組み合わせによって立ち上がる質、すなわち本稿で「マチエル」と呼んできたものが、作品の同一性を支える中心として扱われる。したがって、残されるべきなのは完成された結果ではなく、どのような操作や判断、環境のもとで出来事が成立したのかという条件の束である。

再起動プロトコルは、現場で実行される手順としての「スコア」と、環境・禁則・判断基準・公開範囲などの条件群から構成される。本稿の実践からは、少なくとも次の要素が再起動可能性を支えることが見えてくる。

第一に、鑑賞者の身体や行為を規定するスコア(視野枠、焦点移動、探索手順)。

第二に、再現できない要素を欠落として隠さず、限界として明示すること。

第三に、意味の説明を作者が独占せず、第三者の言葉が立ち上がる余白を含む運用スコア。

第四に、編集や更新を許容しつつ履歴を追跡可能にする版管理。

第五に、出来事の同一性を担保する最小不変条件と禁則の設定。

Case A『顕微鏡マチエル散歩』では、観察スコアを共有することで、像の理解ではなく出来事の成立条件を提示した。Case B『OMOTEDE』では、公共空間における通行・滞留・会話といった振る舞いを支える運用スコアに着目し、説明権能が作者から第三者へ移行する瞬間を問題化した。また『緩芸縁日』は、複数の鑑賞態度が同時に成立する条件を検討する参照枠として、出来事の同一性を「運用を含む場のスコア」として読む視点を与えている。

本稿は完成した理論の提示ではない。実践の過程で生じた判断や条件を、一時的に言語化し、他者と共有可能な形で仮固定するための中間的な記述である。説明や意味を固定することよりも、編集と再解釈が継続される状態そのものを支えることが、ここでいう伝承型アーカイブの目的である。

出来事を保存するのではなく、再び起こりうる状態を残すこと。そのための再起動プロトコルを、誰が、どのように管理し、更新していくのか。本稿で示したのは、その問いに対する一つの実践的な手触りである。

注(補足)

必要に応じて、脚注の補足・引用メモ・用語の補助説明をここに追加できます(デフォルトは非表示)。


参考文献(文献)/リンク(実践・関連)

[1] K. Niedderer, “The Role and Use of Creative Practice in Research and its Contribution to Knowledge”
https://niedderer.org/IASDR07SRS.pdf

[2] Jonathan P. Bowen et al., “The Variable Media Approach: Permanent Access to Evolving New Media Artworks”
https://www.jcms-journal.com/article/id/174/

[3] UNESCO, “Basic Texts of the 2003 Convention for the Safeguarding of the Intangible Cultural Heritage” (Article 2 の定義)
https://ich.unesco.org/doc/src/00109-EN.pdf

[4] Guggenheim Museums and Foundation, “Re-Collection: Art, New Media, and Social Memory” (PDF内、Variable Mediaやエミュレーションに関する記述)
https://www.guggenheim.org/wp-content/uploads/2011/04/2011-000e_re-collection_emulation.pdf

[5] Terry Cook, “Evidence, Memory, Identity, and Community: Four Shifting Archival Paradigms”
Archival Science, Vol.13, No.2–3, 2013, pp.95–120.
https://www.researchgate.net/publication/257520236_Evidence_memory_identity_and_community_Four_shifting_archival_paradigms

[6] Terry Cook, “‘We Keep What We Are’: Archival Appraisal Past, Present and Future”
Journal of the Society of Archivists, Vol.32, No.1, 2011, pp.173–189.
https://www.tandfonline.com/doi/abs/10.1080/00379816.2011.619688

[7] Society of American Archivists, “Core Archival Functions” (arrangement と provenance / original order の言及)
https://www2.archivists.org/groups/standardized-tools-metadata-and-encoding-roundtable/core-archival-functions

[8] 森田新聞社, 愛知県在住のクリエイター森田健が編集(企画・編集・出版・映像制作・古物商・発酵など)をする1人プラットフォーム。
https://www.instagram.com/morita_shinbunsha/